2002年の2月にスクムビット Soi49にてイングラムジムはオープンしました。(正式オープンは3月22日) 当時の正式名称は、INGRAM MUAYTHAI & MARTIALARTS ACADEMYでした。
2022年の今年で丸々20年。
2002年ジム設立当時 (©︎堀田写真館 山中温泉)
20年を振り返れば、まさに様々な出来事がありましたが、正直、書き切れませんので可能な限り簡潔にまとめられればと思っています。
よく日本人がタイに設立した初めてのムエタイジムと言われますが、正確にはスクムビット Soi50に元日本王者の室戸みさきさんが設立した室戸ジム(シンサンヴィアンジム)が一番初めですね。
1996年からタイに居住していたので、ジム設立の構想は常に抱いていましたが、やはり第一の目標は、
『ムエタイという素晴らしい競技をもっと色々な層に知ってもらい、普及に貢献し、同時に自分の選手を育成してムエタイ王者を輩出したい。』でした。
今までの実績などは、ジムの概要欄に記載しておりますので割愛しますが、当初の目標は概ね達成できたかと思います。
1999年に現地法人(シスコ・プロモーション)を設立し、各種コーディネートや日本語ムエタイ情報誌の発行をしていましたが、そのムエタイ情報誌「マンスリームエタイ」の広告スポンサーであったSOULのB.O.B win社とイングラム社の出資を受けイングラムジムが設立されました。
日本人居住区となっているスクムビット49のラケットクラブというスポーツ施設が集合した一角に設立したのですが、1年もしないうちに近隣住民から練習時の音がうるさいとクレームが入るようになりました。特に排水路を挟んだ隣の住人からは様々な嫌がらせを受けていました。練習時間になると大型スピーカーをジムに向けて設置し大音量でオーケストラをかけたり、庭で焚き火をして煙がジムに入るように煽ってきたりされました。設立当初からそのような試練がありましたが、なんとか移転先を見つけ騒音問題もなく、選手育成と一般会員・旅行者へのムエタイ普及の場としてジム運営を進めることができました。
☝︎BTSエカマイ駅から徒歩3分の好立地にあった2箇所めのイングラムジム。この場所の際にルムピニースタジアムのライト級王座をサガッペットが獲得。(現在この場所はコンドミニアムになっています。)
☝︎PRIDEで大活躍した藤田和之選手もムエタイ合宿をイングラムジムにて敢行しました。後にUFC王者となるLYOTO MACHIDAも。(©️INOKI INT’L INC,)
その後も色々とあり数度の移転となりますが、ルムピニースタジアム、ラジャダムヌンスタジアムとムエタイの殿堂と云われる二大メジャースタジアムのチャンピオンをイングラムジムから輩出することができました。更なる事業拡大を目指して2020年2月に240坪もの広さの室内ジムとして新規オープンしましたが、ご承知の通り、世界的パンデミックとなった新型コロナウイルスが直撃。タイ政府からムエタイジムを含むスポーツ施設の全面閉鎖命令で営業不可能な状態が続き、苦渋の判断で新規の場所を閉鎖し、私自身の出身ジムである名門ゲーオサムリットジムとの合併という形で練習拠点を移して継続しています。
まだまだコロナ禍が落ち着かない状況であり、『イングラムジム設立20周年記念』などと謳ったイベントや企画を実施する予定はありませんが、設立から20年が経過したという節目ですので、これからの運営の在り方、方針などを改めて熟考したいと考えております。
設立から20周年を迎えて
2002年から20年もの間、日本人に限らず世界中の方々から練習や合宿に参加していただきました。イングラムジムでプロデビューしたり、イングラムジムで初めてムエタイに触れて、現在は日本のトップ選手として活躍している人材もおります。
メジャースタジアムのランカーやチャンピオンとして活躍したプロ選手もいれば、タイ旅行の思い出の一つとしてイングラムジムでのムエタイ体験を選択してくださった旅行者の方々などにより、イングラムジムが運営でき、ムエタイの普及に貢献できてきました。
一般の方々のジム練習での事故や怪我がなく、合宿生が事故や事件に巻き込まれることもなく、安全にジム運営管理が20年もの間、遂行出来てきたのも皆様のご協力の賜物です。
日本-タイ国間が通常通りの渡航が不可能な状態が続いており、まだ様々なムエタイによる両国間の交流が困難な状況になってしまっているのが現状ではありますが、イングラムジムでは引き続き、タイ国の誇る国技・文化であるムエタイの普及・振興に貢献していければと考えておりますので、更なるご愛顧、ご指導のほどを宜しくお願い申し上げます。
イングラムジム代表
鈴木 秀樹 / HIDEKI SUZUKI
2022年2月19日
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