“ムエタイの日”(虎の王といわれたタイ国王)

“ムエタイの日”(虎の王といわれたタイ国王)

2月6日は、タイ政府文化省が正式に制定した

『ムエタイの日』วันมวยไทยとなっています。

何故、2月6日なのか⁉︎ それは300年以上も前に実在した、スア王(=虎の王)と言われたアユタヤ王朝時代の王が、ムエタイの使い手であったことからになります。

プラチャオ・スア(虎の王)

ソムデッ プラサンペット8世(1661-1708年)

現在、スア王が王位に就いた1702年2月6日を“ムエタイの日”として正式に制定しています。

ワットサイに鎮座するプラチャオ・スア。

プラチャオスアは、古式ムエタイで使われるメーマイムエタイ、ルークマイムエタイの格闘術を確立させたとされており、ムエタイという優れた格闘術を後世に遺すために、その技をまとめた人物とされています。実際に証拠となる資料、文献も遺されていることから、政府が正式にムエタイの祖として、プラチャオスアが王位に即位した2月6日を”ムエタイの日”として制定しました。

毎年2月6日には、ムエタイ関係者により各地でプラチャオスアが祀られている寺院などでの催し物が開催されたりしています。ムエタイ年間最優秀選手などが表彰されるタイ国観光・スポーツ省、スポーツ局主催の”ワンムエタイ(ムエタイの日)”では、タイ国首相などが出席しての大規模な表彰式が開催され、国を挙げての振興が実施されています。

 

ピチット県など所縁のあった各地域にはプラチャオ・スアの祠が設置されていますが、バンコクではワットサイ(バンコク・ジョムトーン地区)に置かれています。このワットサイはスア王がバンコクに来た際に、宿泊地としての御屋敷を建てていた場所になります。現在、御屋敷の復元・修復作業が実施されています。

祠の目の前には運河が通り、穏やかな雰囲気を醸し出しています。

アユタヤからこの運河に南下し、屋敷を訪れていたことを想像すると歴史のロマンを感じます。

スア王(虎の王)とまで呼ばれた国王。非常に気性が激しくムエタイの使い手として一般国民とも腕試しで格闘していたといわれています。そして優秀な戦士たちを王室の警護として雇用し、ムエタイ術の基礎を築いたとされています。

 

ギャンブルとしてのムエタイばかりが取り上げられがちですが、ムエタイは長い歴史とタイ国の文化的側面としても重要視されているタイ王国の国技、スポーツ競技です。

 

©️INGRAM MUAYTHAI GYM

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